遂にエアコンのスイッチを押した。
暑さはなんとか耐えられたが、
夏なのに風も吹かずの湿度がもう無理で負けてしまった。
湿度と気圧を頭の古傷がセンサーのように察知して
いつもオレに頭を軽く締め付けるように合図をするのだ。
それが来ると、「あ〜っ湿度だ〜っ」となる。
日本人に多い。
自分の枠組み、趣味、少ない経験値の中の、
さらに自分の尺度で、好き嫌い、合う合わないの
物事を判断する人が多い。
そういう人は、「あっこの人、違う、グループが違うんだ、
あっ、この話、やっぱり否定の話だ!」
と、とろいくせに、そういうところはじつに敏感に察知する。
自分の枠組みがあるんだろう。
好きにしてもらえばいいが、そういう人は
話の流れで、なにか別の話を突っ込むと
「はっ」「びくっ」とした表情をする。
オレなんぞの全体で物事を話したい派は、
あれがじつにしんどい。物凄いストレスになる。
「あんた、さっきまでそんな表情してなかったじゃない?
またこのパターンか」と疲れる。
娘にいつも「会話は分度器」の話をする。
人との会話というものはとても大切で、
紙一枚を置いて下から見ると、真っ直ぐ一本の線に見える。
それが地平線。
その紙の上に分度器を置く。
分度器は180度だな。
そうすると、太陽が昇り、太陽が沈む感じの距離感がわかる。
もしも、分度器の70~90度までの30度。
その幅や枠や感覚だけの
話を10分ずっと聞かされたらどう思う?
相手は疲れるだろ?
相手は180度の広い間隔の地平の話を聞きたいわけだよ。
そこで、びっくりしたり、笑ったり、
共感したり、そういう意見もあるのか?と、
互いに平等に考えさせられたりできるんだ。
それが平等の「共有」の会話なんだよ。
分度器には、まん丸いのもあるんだぞ。
それに、分度器を一個真中付近まで切って、
真ん中でクロスさせて見ると東西南北になるだろ?
そうなっちゃうと、話が、東から太陽が登るように
じわっじわと90度まで来たのに、
ここでクロスだから北方に向かっちゃうと、
会話もどういうふうにして戻って、
陽が沈む方へ大きな景色を描けるか?
おもろく話していけばいいか、わからなくなるだろ?
そのわからなくなる中途半端な困った会話も含めて、
それが、人と話すということなんだ。
自分の狭い範囲の、思っていることだけ喋ればいい
というもんでは無いんだよ。
壁に向かってずっと喋っているようなもんだろ?
今日は「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」ですね。
一切「はっ!」「びくっ!」とした感じにならないように読んでね。
そういうの嫌だからね。
毎年この日になると、親父を思い出すのです。
親父が言うには、長崎で中学2年のときに被爆しました。
東芝の軍需工場の地下で夏休みのバイトしていたんですね。
そうすると、爆音とともにピカドンです。
その場所は、被爆区分で直爆心地から1.5kmでした。
生きていたので、友達二人と地下から表に出ようとしました。
表は吹っ飛んだ鉄板の下敷きで塞がっていて、
ようやく外に出てみると腰が抜けたそうです。
全く何も無くなっていて、何が起こったのかもわからず、
友達と山の家に帰ろうと歩いて帰ったそうです。
煙の中で、ものすごい数の倒れた人たちを見たそうです。
家に帰ると、全員親父を見て奇跡的に助かったと号泣していたそうです。
そりゃあそうです、爆心地ですから。
親父が中2の体験です。
中2で体験したその話は、したくなかったそうです。
「外に出たら何万人全員死んでた。涙が出なかった」
と、言っていました。
「親父それは語り継がなきゃ駄目だ」と、言うと、
「皆そう言うんだよ、だけどな、
世の中には自分の子供が殺されたり
いろんな悲しいことが山ほどあるだろ?
そういう人は、悲しいだけで、
思い出したくもないことがあるんだよ
前向きな話をしようとか、前向きに生きるなんて、
そういう経験をした人が、軽々しく言えるか?」
親父は、毎年この時期の、
そういう話が嫌いだったし、オレもしなかった。
いつも「テレビを消せ」と黙祷もしなかった。
そういう時は、親父は、いつもバイクで出かけた。
もう、亡くなったし、済んだことなので許してもらえると思うが、
国から毎月支払われる、第一級被爆手当のお金を母から
「おいあれ貸せ」と奪うようにバイクで競輪場に出かけた。
夜に帰ってくると、いつも台所でキリンビールの栓を開けて
気まずそうに一人呑んでた。
母に聞こえないように「お父さん負けたのか?」と聞くと
いつも「今日だけ負けた」と、言っていた。
「俺は凄すぎる、自分が怖いくらい今日は勝ちすぎた」と、
ベロベロに酔っぱらいのニヤニヤ顔で
寿司を買って帰ってきたことがオレの記憶では2回だけある。
たぶん、行き場のない国への怒りがそうさせたんだろう。
そういうアウトローの親父を見て育ったから
胡散臭い優しさや、
あたりさわりのない人間がずっと嫌いだった。
今は自分は、一応まともな大人なので
色んな人がいると思うのでどうでもいい。
親父は一回、俺にこうも言ってた。
「オウムていうのがあるだろ?
俺は、宗教が好きな人は好きなんだから
なんでもどんどんやればいいと思うよ、
言い悪いんじゃないんだから。
だけど、戦争も宗教も人を殺めたら駄目だ、絶対駄目だ」
その言葉には、たしかに魂がこもってた。
男として聞いていても親父はかっこよかった。
親父は外人みたいな顔をしていた。
酒を飲むと
「おい、貴司じつはな、俺の祖先は、
アフリカからヨーロッパを渡り、
中国も開拓して最後はブラジル系の移民だから世界をまたいでいるんだ。
俺は中国語も全部喋れるけど、誰にも言うなよ」と、言う。
これは、何回も言うので
「じゃあ、中国語を喋ってくれ」というと、
「チュ〜チャ〜ヨ〜メ〜ハン」というので
「それは炒飯じゃないか?」と言うと
「まだお前にはわからないだろうな、ふっふっふっ」といつも言う。
何から何まで全部ウソだった。
親父はクリスチャンで洗礼も受けていると言ってた。
家には、親父が読んでいるところを見たこともない聖書があった。
聖教新聞も読売新聞も取っていた。
どうせ洗礼の話も嘘だろうと思っていたが、
教会での葬儀のときに、神父が「深堀ペトロ〜」と紹介したので
「おやじのクリスチャンネームはペトロ?犬?」
神聖なる教会の葬儀の最中で、
オレは我慢できずに、笑いが止まらなくなっていた。
笑いの涙を流しながら、最後に花を受け取った。
死んでも笑わせてウケる男だった。
オレもああいう死に方がいい。
たぶん、自分のクリスチャンネームも忘れていたんだと思う。
親父は末っ子で長崎に兄がいる。
上の兄は今でも教会の神父や福祉の仕事や
原爆に関する資料を収集する仕事をしている。
そのお兄さんが、昨年の今日平和祈念式典で、
安倍さんの前で長崎代表挨拶をした。
ワールドニュースにも出て、その読み上げた文章も新聞に出ていた。
素晴らしい演説だった。
いったいあの中国語の話せる親父と、
この世界的な親父のお兄さんと、
この対比というか、
このダイナミクスの風景はなんなんだろう?
ずっと、考えさせられた。
オレは、どういう風に生きていこうか
わけがわからなくなって悩んでしまった。
会話は分度器。
「分度器を十字にしてダイナミクスな内容を話せ。
あとはギャグでなんとかなる」
と、いうことを親父は言いたかったのかもしれない・