吐きだめ日記 Part2

海風店主 深堀貴司

どっちゃでもいいがいぜ〜

東京部屋の生活は
やたら便利な生活感を嫌わずに
自然体で楽しもうとしている
しかし、東京部屋で生活していると
大好きな音楽を全く聞く気がしない
ラジオも聞く気がしない
たぶん耳が聞きたがらないのだろう

田舎小屋に戻ると小さな音で
良質な音楽を聞きたくなる
最近やっとわかった
東京は生活音が多すぎるのだ
何から何まで表へ出ると音が大きい
ものすごく音が溢れすぎているから
耳が疲れているのだろう

これは、どうしようもない事だから
真逆のダイナミクスを楽しむつもりだ

その影響か、ここ数ヶ月
高速道路で東京へ向かう車の中では
ブライアン・イーノしか鳴っていない
この年齢になると
音楽の中の歌が鬱陶しく感じる事がある
言葉は会話や本の中にあればよくて
音楽にあまり歌は必要ない
この年齢だからそう感じるのだろう

中学3年のときにラジオで偶然ブライアン・イーノを聞いた
オレの年代の、あの頃のラジオは素晴らしかった
アルバム一枚A面とB面の間に
アルバム説明の話があるだけでCMも無く
アルバム全曲通しでかけてくれた
そういうアナログな環境が情報源だったし
それでよかった
いまでもそれでいいと思う

15歳で聞いたのは、飛行場のための音楽
Music for Airportsというブライアン・イーノのアルバムだった
このアルバムは、今でもニューヨークの空港で流れているという

最初聞いた時に「環境音楽」という存在に頭が
ポッカ〜んと真っ白になった
粗削りの音楽ばっかり聴いていた自分には衝撃だった様だ

15歳から今でも聞いている音楽は
たったひとりブライアン・イーノだけ
無人島に持っていくならこれだけでいい

音楽は小さな音で聞くほうがいい
微かに鳴っていれば耳が喜ぶし
健康にも精神的にも害はない気がする
あくまでも、人それぞれだけど

大きな声で話をする人もいれば
大きな声を嫌う人もいる
表現が好きな人もいれば
表現が鬱陶しい人もいる
どっちかに合わせなさいと言われても
どちらの方々も無理だろうと思う
人間はややこしいから仲良くしなさい
ということだろう