
農作業の日々と雑草の日々
雑草を抜いていると
疲れ果てて、文字を打つ気力も無くなる
土の上、根の位置から底辺の景色
這う様に地上50cmの高さ
延々と見つめていると
日々の暮らし
見たこともない景色が見えてくる
雑草作業の間
思考が止まり、何も考えず
無の心持ちになる
良くいえば精神のリラックス
無の状態、水になりなさいと
ムルティ、クリシュナの言葉がわかる
料理人が、使うことのない動き
なるほど、全身筋肉痛の日々
いてててて、クリシュナクリシュナと唄う
これも、知らぬ知識を学ぶと言うことか

最近は、YouTubeの対談ばかり見ている
とある大作家の息子さんと母親の対談
息子小学3年の時、父親に、
”ニーチェも学んだこともない
糞の様な男になるなよ”と、言われたと
後から、
この親父は普通じゃないと思いましたと
爆笑した
小学3年で、、
オレは中学から哲学にはまったから
ニーチェは、その頃だ
初めは、フロイトにハマり
朝起きたら夢が覚めた瞬間に鉛筆を握り
昨日見た夢を、起き抜けの枕元
広告の紙裏に書き殴る様に書いていた
四畳半のフィールドワークみたいな事
翌日読んでも、
ほぼ意味不明の繰り返しで
文脈が乱れていて何が何だかわからない
答えのない様な、哲学を学びすぎると宗教を超え
確実に気が狂うだろうと思ってやめた
中学からの座右の銘は
ニーチェの引用していたブッダの言葉
“犀のツノの様に、ただ一人歩め”
これは、いまも変わらない
考え、思いて、日々悩み苦しみ
その悩みを超え閃いたと、思うた時に
自分の希望が見えてくる
と、ニーチェは言うていた
人間は、悩み苦しみながら
優しさ、愛、喜びを感じ成長する
安定、安楽を求める人間などは糞だと
ニーチェは言った
今の世の中の糞共は、
安易な情報やニュースを聞いて信じ
周りにその情報を垂れ流す
オレは遅漏遅読で本を読むから
とても読書家にはなれない
羨ましい読書家の人たちは
言葉の裏の本質を探るから
安易な情報を信じないだろう
人間は、大昔の本の知識から学んできた
なんというか、
草の根を這いながら無意識でいると
自然哲学の雄大さに
改めて気付かされると言う事だ
そして自然に感謝する
朝、食材とカレーを仕込み
東京へ向かう
娘から電話
”写真部へ入部した
一眼レフカメラを教えて欲しい”と、、
安い中古の一眼レフカメラで十分だ
スマホは広角レンズだから
なるべく広角は使うな
寄って50mmで写すようにしなさい
写真は、明暗だから
その人の
心の闇の部分と光
嘘のないのがいいと思うよ
と、偉そうに語る


