東京は少し暖かい
ひっさしぶりの厨房仕事
腰の痛みを抑えながらなんとかラストまで働いた
夜の九時には眠気が襲ってきて
危うい感じだったが、なんとかやり切った
片付けを終えクタクタで
帰りぎわにカウンターに崩れ落ちて
瓶ビールを呑ませてくれと、、
痺れる味であったね
で、思ったのが
自分は、やっぱり作るのが好きで
人と共存して何か役に立てればいい
ということだった
もう、61歳児にもなると
少しは学ぶもので
自分の存在は、もはやどうでもよくて
生きてきた証、やってきた実力
などというものは、意味を持つものでもないし
実力など意味不明の生き物だなと
大海原に放り出されれば
どうしていいかわからなくなるだけだ
生き切るという意味を探るから
人生を美しくやり直そうと思うわけで
それも我の傲慢な欲の境地
要は、ムルティ・クリシュナ
あなた、流れるような水になりなさい
というわけだ
生きるということはしんどくて
誰にせよ、ややこしなのだけれども
最近の好きな動画
淡々とした爺さんの
言葉のない日々の景色を見ているとよくわかる
朝、きちんと歯を磨き
自分のために丁寧な素食を作り
部屋を軽く掃除して空気を入れて
正座して洗濯物をきちんと畳む
美しく生きるということは
それだけだなと考え始めた
はやく80歳になりたい

東京生活では、お金がないので
ホテルに連日泊まれないし車泊もさぶすぎる
ありがたいことにイトウちゃんの家の隅で
過ごさせていただいている
風呂も入れと言うてくれるし
朝飯まで食わせてくれる
悪いが、畳二畳だけ使わせてくれ
気を遣わぬでくれと
米も土鍋も朝茶もコーヒーも持参してきたが
起き抜けに、あっさりと朝ごはんを作ってくださる
日本人の優しい”心遣い”というものは
気にしないでくれと言われても
そっと人に気を遣ってあげるのがあたりまえで
わるいなぁと思いながらも
お互いに助け合う義理と人情の心持ち
これをしてあげたからとか
この時代の合理的にありがとう
これで清算して、貸し借り無しね
と、いうことではないのだ
と、思ったりする
だから、昔の人を思い出すわけだ
あの人にああしてもらったな
迷惑かけたなとか
ああすればよかったなとか
情けをいただき生きてきたんだなぁと
アホな61歳児が思い出すわけだ
今朝は、台所を借りて
持参した大根を刻み
勝手にベランダに干した
ここは、日当たりがいいので
いい干し大根ができるだろう
今日も、役に立てるように働いて
夜中に発泡酒500mlを呑んで
歯を磨いてアホヅラで寝ようと思う

