明瞭な視界に溺れる
Drowning In Plain Sight
明瞭で明白
自立と共存と優しさと許容
明白な美しさ
圧倒的な豊かさ
圧倒的な景色
いつでも、そんな夢からこぼれ落ちては
ベッドの下から這いずり回り
何かを掴み取ろうと
死ぬまでもがいているのだろう
信頼できる大工職人
共に酒を呑んでは
溢れる景色を言葉で伝える
いつでも抽象的に語るだけだけど
肩から見える外の景色
壁から伝わる場所
明日には気持ちは変わっている
大工曰く
壁を剥がし、柱を入れ、床を造っている
けれども、まだ全体像の景色が
頭に見えてこないと言いなさる
それでいいとオレは言う
時間はないが、焦ることはない
こちらは、人生を造ることの
恐れと幸せを噛み締めている
日本映画は、もう見ていない
見ていないと言うよりは
見ていられない
日本映画の「大島渚賞」
審査委員長の坂本龍一さんの話が誠実で良い
“ぼくたちが考える大島渚賞たる要件は2つです。
一つは社会の不条理への問い、
批判があること、
そして二つ目は映画という制度に対する問題提起、
批判、新しい視点があることです。
毎回候補にあがる作品の質が低いことに
忸怩たる思いを抱えています。
映画は社会を反映しているとすれば、
最近の日本映画の大きな傾向として
他者を傷つけることを極度に恐れることがあると感じます。
それは社会への問題提起、批判、問いを萎縮させます。
矛盾や不条理があっても
明確に反対することができません。
なぜなら反対の声を上げれば必然的に
異なる意見をもつ他者とのぶつかり合いが起こるからです。
これは僕が思う
開放的で民主的な社会の在り方とは正反対です。
恐らく大島監督も僕の意見に賛成してくれるでしょう。”
坂本さんは
映画を通じながら
今の日本人の生温い
中途半端な個人主義を語っている気がする
味噌汁は熱々が良い
今を生きる人達は
互いに意見を闘わせない
無駄だと思っている
それは
自分の許容の範囲外の人を
受け入れないということ
囲いの中で生きていては
囲いを己で超えられなくなってきて
足腰も弱るだろう
そしてジムに通うわけだ
囲いを超えた反骨の景色の外に
安堵の静寂や沈黙がある
たぶん、哲学者のカミュが言っていたな
”沈黙は
お互いを愛する人々の会話
重要なのは
言われることではなく
言われる必要のないこと”
たぶんそうだったと思う
本物の安堵や静寂や沈黙は
コンビニでは手に入らないだろう