吐きだめ日記 Part2

海風店主 深堀貴司

時代を生ききった格好いい人達

峡東、峡南
朝6時から昼頃
二箇所で草刈正雄
泥だらけの刈る〜セル真紀
昔に比べ、相当体力が落ちたな
こんなの屁でもなかったのに
草泥を流しながらしみじみと感じていた

36枚半の畳を自分で処分しなくてはならない
業者に頼むと結構な金がかかる
軽トラに5枚づつ積み込んで
環境センターへ持って行くっきゃない
の、つもりだったが、、
積み重ねた畳を見るたびに気持ちが沈む
息子が近くに住んでいたらな、、と
まだ昼だからよしやるかと気合いを入れるが
昔の畳は、とにかく重い

畑にほったらかしにしている畳を思い出した
たぶん土に還るんだろうと思い
地元のベテランの大工さんは
知っているだろうと
現場で聞いてみることにした

高齢者の大工さんに尋ねると、、
ふん?と首を傾げてスマホを取り出し
ペタペタ文字を打っている
自然素材だから土になると思うんですよと
尋ねてみた

高齢者の大工さん、
“あっ!肥料になるらしいです
三年で土になるそうですっ”

高齢者の大工さん、
文字をペタペタ打ちながらスマホで調べていたのだ
先輩あんた、時代のモノで調べるか?
昔の知識と経験を聞きたかったのに、、
続いて、
表裏は、どちらを土側に?質問すると
ペタペタペタスマホ高齢者の大工さん
”裏はビニールが張っているから表を土ですね”
あっさりと答えた
ダシになるわけですっ!

ん?何?ダシ?
意味がわからなかったがもう聞くのはやめて
畳を畑に敷くことにした
まさか、苦情はこないだろう

腰を痛めない様に、軽トラに積んで
大工さんをチラ見したが、一切手伝う気配なし
そりゃそうだわな、と必死で積み込み
畑に敷きに行くの繰り返し
8枚敷いて、もう体力の限界
明日またやりますと言って帰る

昨日、一人じゃしんどすぎるので娘を誘う
畳を運ぶだけで3千円のバイトだぞと言うと
カシコ長女が、3千円ならやると
二人で朝早くに出発して
甲府でデニモニ食べて
腹を満たして軍手をはめて
汗を流しながら頑張った
女の子だから無理はさせられない
大丈夫か?大丈夫か?と声をかけ
まだ大丈夫と、休憩しながら
なんとか全部畑に敷き詰めた
さすがに、二人だと
三時間もかからなかったが
終わると腕がプルプルしていた
娘は毎日夜中まで勉強しているので
行きも帰りも、車の中でず〜っと寝ていた

よく頑張ってくれた助かったよと声をかけ
三億円を手渡した
ありがとうございますと一礼して
嬉しそうに受け取った

自分でお金を稼ぐという事に
気づいてくれれば、それが自立への道であるね
頑張れ、セレヴへの道

帰りに、富士川町の歴史文化館へ寄った
この辺りは、書道紙と硯が有名
全然読めない甲州雨畑硯、峯硯堂本舗
江戸時代からの名工の作品を見る
いやはや美しい硯
書道を学んでいる娘も感動していた

富士川舟運歴史館に入る
山梨は日本一寿司屋の数が多いとのこと
江戸時代に京都から舟で魚を運ぶ技術を伝授されて
富士川で年貢米を運び
帰りに魚を積んできて寿司屋が増えた
歴史館の爺さんが説明してくれた
船には四人
10代の小僧が二人、右腕が一人、船主が一人の四人
甲州から静岡の海まで幌を立てて風に乗り
4時間で到着
荷をおろし魚を積んで帰りは四日かかる
船主以外の三人が
ロープで船を引っ張って富士川を歩き帰ったそうだ
急流が来て何人も死んだそうで
亡くなった若い小僧を追悼するお地蔵さんが
あちらこちらで祀られていると言う
凄すぎるぞ江戸時代
帰りの四日の二日でマグロが腐るので
二日目にはマグロの荷を卸して
それが、マグロのヅケの始まりだと
そうして山梨では
マグロを多く消費するようになったと
とにかく、昔の人はすごい
先人が苦労して築き上げてきた社会
今じゃ、パワハラ知事とか、政治と金とか
うだうだうだうだぬかしやがって
もう情けなくてしょうがない

昔の人が聞いたら
貴様らっ!それでも男かっ!と
全員即、切腹の刑だよな