
朝は雑草を摘みに出て
毎日、子供のような苗の成長を見る
もう、可愛くてしょうがない
過保護になりそうだ
自転車にも愛着が湧きすぎて
玄関に置く始末で
畑が広すぎるから
いったい何の種をどこに蒔いたかも
わからぬようになってきた
メモしておけばいいけれど
とにかく手間がかかるので
成長してからわかるだろうと
自然農の仕組みを学んでいるところだ
隣の老女の畑には
雑草がほぼ生えていなくて
朝と夕刻やってきては、静かに手入れをしている
老女が畑に来ると
オレは、何気に畑に向かい
雑草を抜いたりしながら
どういう畑仕事をしているのだろう?と
先人の知識を盗もうとチラチラと見ているのだ
聞くより観察したほうがいい
老女がオレに気づくと会釈してくれて
オレの畑にはない野菜をわしづかみで
食べますか?と分けてくれるのだ
色々と時期の種のことを聞いたりすると
照れくさそうに老女は少し話すのだ
少しの時間を働いて家に戻る
たぶん彼女は、長年生きてきた
自分の身体を熟知していて
やりぎることはしない
自然の知恵のような思想を
身につけているのだろう
いつも、その姿を見ながら
ぼくは、小さな人の生き方を静かに観察している

男鰥(おとこやもめ)
こんな字が存在していたのか?
のような男の家には華もなければ艶もない
畑に咲く路地の花なんぞを息子に聞くと
息子は、全てしっているし
さすがプロだなと思うのだけれど
少しは知らなきゃなと思う
何なのか?写真を撮れば検索できると聞いたので
花や草を抜いてみては検索している
きれいな色でも、ただの雑草だったり
いろんな種類があるんだなと感心している
今日抜いてきたのを見たら
百日草と、ポトスと露草
露草は、朝咲いて夜萎む一年草らしく
Day Frowerと呼ばれる洒落たもんだな
と一日の天使が教えてくれるわけで
小さな瓶に飾って台所に華を彩るわけだ

彩ると言ってもセンスがないわけで、
右の空き瓶はタバスコで、横は干したトマト
食器洗剤も同居しているわけで
笑えるけれどもこれでいい
無いよりはいいだろう
ゴーヤーの花も、まだまだ満開で
実がなっているので
あの花も飾りにちぎってこようかと、
人生のセンスと華か、
どこかに落ちていないもんかね?
昨日、梅割りを家で作って呑んでみた
美味いのだけれども、、
あれは、店屋のカウンターで注いでもらって
店屋でグッとあの甘苦さを
噛み締めながら呑むものだな
ひとり家で呑むものではないな
男は、静寂の中の品

