in Ome Blue
久しぶりの街並み
眼もだいぶ慣れてきたので今日からお店で3連発
老化現象で物忘れがひどくなってきたので
常にメモ魔に徹しているが
自分の書いた文字さえ読めない時がある
己に、きちんとメモしろと言い聞かせながら
老いと言う老化現象を楽しんでいる
い〜やまだまだ、がっつりと勝負に出るぜ
などとは、一切思わない
すぐに白旗上げて
無責任退散するのが良い
それにしても、新しき友の老眼鏡
どうにも、このモノは本をかけておると
本を読む気が失せる
疲れるのだ
老眼鏡との関係性を
なんとか築いていかないといけない
若手の頃は、誰しも
自らの将来を見つめ
ある程度自分へのルールを作る
盗みはしないとか、賭け事をしないとか
自分の性癖にけじめをつけるとか
まま、いろいろあると思う
昭和の時代は
働けることに感謝して
死ぬまで働ける身体で頑張るという
そういう世の中だったが
若い頃の自分のルールは
そういう考え方を壊すこと
早めに丸儲けしておいて
60歳になる前には
働くことをきっちり辞めることだった
まぁ何事もそう上手くいくことないが
身体が、まだまだ元気なうちに
人と会う約束も無い溢れる時間の中で
一人で暮らし、自分で美味い飯を作り
日々酒を飲み、スマホも捨てて
読書と犬と散歩で暮らそうと考えているのに
この老眼鏡という新しき世界
小さなストレスも
良い悩みと思っていれば良いだろう
こないだ、うるさい娘が
会話の中で”それは圧がすごい”と言う言葉を連呼していた
流行りなのかしらぬが、彼女が言う圧は
何かしらの圧力と言うことだろう
なるほど、ワールドニュースを見ていても
日本のニュースを見ていても
なんでこう嫌なことや、疑問ばかりが増えるかね?
と、思えてくるし
まともに受けていると
どんどんストレスの圧力が増してくる
たいしたことも成せずに生き切るならば
情報は、何もかも知らない方が
良いのかもしれない
最近つくづくそう思う
運は運であり
全然ついていないと感じることもある
思い出すと
全然ついてへんと言いながら、、
何故に、子供の頃はあんなに
うんこを踏んだのだろうか?
まぁ、そこが人生の境目
運の尽きだったのだろう